櫻坂46の田村保乃さんは、2026年9月15日に16thシングル『愛MUST BE』の活動をもってグループを卒業することを発表しました。
『流れ弾』でセンターを務め、二期生の最年長として長くグループを支えてきた田村保乃さんは、アイドルになる前は14年間バレーボール一筋の体育会系でした。
スポーツ推薦で進学した大学はどこなのか、出身高校はどこなのか、気になっている方も多いのではないでしょうか。
田村保乃の出身大学はどこ?スポーツ推薦で進学した先
田村保乃さんは、高校卒業後にバレーボールのスポーツ推薦で大学へ進学しています。
ただし、大学名は本人からもグループの公式サイトからも明かされていません。
分かっているのは「バレーボールを続けながら、保育士の資格も目指せる大学」という進学先の条件です。
バレーボールと保育士を両立できる大学を選んだ理由
田村保乃さんは高校時代、将来の夢が特になかったと語っています。
そんな田村保乃さんに進路のヒントをくれたのが、バレーボール部の先生でした。
後輩の面倒をよく見ていた姿を見て、「保育士さんはどうだ?」と薦めてくれたそうです。
高校3年生のときに保育士を志すようになった田村保乃さんは、バレーボールと保育士の勉強を両立できる大学から推薦を受け、進学を決めました。
この経緯は、田村保乃さん本人がスポーツ誌のインタビューで語っています。
小学生からずっとバレーボール漬けだった田村保乃さんにとって、競技を続けられることは進路選びの大前提だったのでしょう。
大学に入ってからもバレーボール部でプレーしており、木村沙織さんとの対談企画では「大学の途中までバレーボールを続けていた」と紹介されています。
幼稚園の頃から数えると、バレーボール歴はおよそ14年にもなります。
大学名とその後の在籍状況は明かされていない
田村保乃さんが坂道合同オーディションに合格したのは2018年8月、19歳のときです。
年齢から逆算すると、大学在学中にオーディションを受け、そのままアイドル活動が始まったことになります。
そのため、ファンの間では「活動が忙しくなって大学は中退したのでは」「休学しているのでは」と長く語られてきました。
しかし、卒業したのか、中退したのか、休学したままなのかについて、本人や所属からの発言は今のところありません。
大学名についても同様で、「大阪の大学ではないか」といった声はあるものの、裏付けとなる本人の発言はなく、名前を挙げられる段階にはありません。
本人の口から語られている事実は「バレーボール推薦で、保育士を目指せる大学に進んだ」「大学の途中までバレーボールを続けた」の2点です。
アイドルの道が開けたことで保育士の夢は形を変えましたが、「誰かの気持ちに寄り添える人になりたい」という思いは、櫻坂46での活動に受け継がれていったように感じます。
田村保乃の年齢・身長・誕生日
名前:田村保乃(たむら ほの)
生年月日:1998年10月21日
年齢:27歳(2026年9月時点)
出身地:大阪府
血液型:A型
身長:163cm
愛称:ほのす、ほの
所属:Seed & Flower
田村保乃さんは1998年10月21日生まれで、2026年9月時点の年齢は27歳です。
2026年10月21日の誕生日を迎えると28歳になります。
卒業を発表した公式ブログでも、田村保乃さん自身が「今年の10月で28歳になる」と綴っていました。
坂道合同オーディションに合格したのが19歳、欅坂46に配属されたのが20歳ですから、20代のほとんどをグループとともに過ごしてきたことになります。
身長は163cmです。
女性の平均より高く、櫻坂46のメンバーの中でも並ぶと目線が高い位置にあります。
幼稚園の頃から大学までバレーボールを続けていたことを思えば、この身長は競技生活の中で大きな武器だったはずです。
出身は大阪府で、血液型はA型です。
ふんわりとした話し方から関西出身と気づかない方もいますが、バラエティ番組では時折関西のイントネーションがのぞきます。
愛称は「ほのす」「ほの」で、ファンの間では「ほにょ」「たむちゃん」「たむたむ」といった呼び方も定着しています。
卒業発表後のSNSでも、本名より「ほのす」と呼びかける投稿が目立ちました。
「保乃」という名前には、生まれる前のエピソードがあります。
名前の候補は「ほの」と「このみ」の2つあり、お腹に向かって呼びかけたときにお腹を蹴った方が「保乃」だったため、この名前に決まったのだそうです。
生まれる前から自分で名前を選んでいたというわけです。
田村保乃の出身高校はどこ?バレー漬けだった高校時代
田村保乃さんの出身高校は、本人からもグループの公式サイトからも明かされていません。
一方で、高校時代をどう過ごしていたかについては、本人の言葉がいくつも残っています。
大阪市立桜宮高校説が語られている理由
ネット上では、田村保乃さんの出身高校は大阪市立桜宮高等学校ではないかと言われています。
同校にはスポーツを専門的に学べる人間スポーツ科学科があり、バレーボール部も活動しています。
大阪府内でバレーボールに本格的に取り組める高校として名前が挙がりやすい学校です。
ただし、この説を裏付ける本人の発言や学校側の発表は見当たりません。
あくまでファンの間で語られている推測のひとつ、という位置づけです。
同じように「強豪校で全国大会の常連だった」という声もありますが、こちらも本人が語っている内容より一段強い表現になっています。
田村保乃さん自身が明かしているのは、学校名ではなく、そこで過ごした日々の濃さです。
朝5時から夜10時まで、3年間バレーに捧げた日々
田村保乃さんは高校時代の生活を「朝の5時に起きて、夜の10時に帰ってくるって言う、本当に毎日」と振り返っています。
そして「3年間送ってたので、どこにも行けなかった」とも語りました。
朝練から始まり、授業を挟んで夕方の練習、帰宅は夜10時という生活が1年365日続いていたことになります。
遊びに行く時間も、寄り道をする時間もない3年間でした。
それでも田村保乃さんはバレーボールを続け、後輩の面倒もよく見ていたといいます。
転機が訪れたのは3年生のときです。
「その先が自分でも気付き始めていたので、実力とかは」と、競技者としての限界を自分で感じ取りました。
どれだけ時間を注いでも届かないところがある、という現実に高校生の田村保乃さんは向き合うことになります。
この挫折があったからこそ、保育士という新しい進路が視野に入り、バレーボールと両立できる大学への進学につながりました。
柔らかい話し方と「ほんわか」した印象で知られる田村保乃さんですが、その土台には朝5時起きを3年間続けた体育会系の日々があります。
卒業発表を受けたSNSでも、このギャップに触れる投稿が多く見られました。
小学校から続いたバレーボール歴14年
田村保乃さんのバレーボール歴は、幼稚園から大学まででおよそ14年にのぼります。
本格的に競技を始めたのは6歳のときでした。
きっかけをくれたのはお兄さんです。
お兄さんの影響を受けてクラブに入り、そこからボールを追いかける日々が始まりました。
小学校時代はクラブでの活動が中心で、出身小学校は枚方市立津田南小学校ではないかと言われています。
中学校についても、枚方市立津田中学校に進学したという情報がネット上で広く共有されています。
どちらも本人や公式からの発表があったものではないため、ファンの間で語られている学校名として受け止めておくのがよさそうです。
中学校ではバレーボール部に所属し、小学校時代と同じくバレーボール漬けの3年間を過ごしました。
そして高校では朝5時起きの生活を3年間続け、大学にもスポーツ推薦で進んでいます。
大学でも途中までプレーを続けていたことが、木村沙織さんとの対談企画で紹介されました。
6歳から大学生になるまで、田村保乃さんの生活の中心には常にバレーボールがあったことになります。
ポジションや対戦相手の話題も、たびたび本人の口から語られてきました。
14年間積み重ねた体力と集中力は、そのままアイドルとしての活動を支える土台になっています。
アイドルになってからも、番組の企画でサーブやレシーブを披露する場面では、経験者ならではの動きを見せてきました。
ふだんの柔らかい雰囲気と、コートに立ったときの表情の違いに驚いたファンも少なくありません。
試合中は別人のようだった、という学生時代のエピソードも、卒業発表の際にあらためて話題になりました。
田村保乃の経歴|オーディション合格から櫻坂46卒業発表まで
前田敦子ファンから坂道合同オーディション合格へ
田村保乃さんは小学生の頃からアイドルが好きでした。
きっかけは前田敦子さんで、バレーボール部が休みの日には握手会やライブに足を運んでいたそうです。
ただし当時は、自分がアイドルになることは考えていなかったといいます。
そんな田村保乃さんがオーディション前のセミナーに参加した理由は「メンバーに会うことができるから」でした。
そこでシード権を獲得したものの、二次審査に進むかどうかは迷っていたそうです。
気持ちが変わったのは、オーディションの途中で訪れた欅坂46の全国握手会でした。
ミニライブで、一番好きな曲『避雷針』を目の前で観たのです。
「リズム、ダンス、歌詞、全てに心を奪われて私も誰かの心を動かせるような、誰かの気持ちに少しでも寄り添えるような、そんな人になりたい」と思うようになったと明かしています。
そして2018年8月19日、坂道合同オーディションに合格しました。
『流れ弾』センターと1st写真集『一歩目』
欅坂46への配属が決まった田村保乃さんは、2019年に9枚目シングルで初めて選抜メンバーに選ばれます。
しかし、この楽曲は発売中止となりました。
2020年にグループは櫻坂46へと改名し、田村保乃さんは1stシングル『Nobody’s fault』の表題曲メンバーに選ばれています。
そして2021年、3rdシングル『流れ弾』でセンターに抜擢されました。
同じ年には1st写真集『一歩目』も発売しています。
この『流れ弾』が、田村保乃さんにとって唯一の表題曲センターとなりました。
VOCEモデル・2nd写真集・ドラマ出演
センターを務めた後、田村保乃さんは個人の活動を着実に広げていきます。
2023年9月には、女性誌『VOCE』のレギュラーモデルに就任しました。
2024年10月には、テレビ東京系ドラマ『Qrosの女 スクープという名の狂気』に栗山志穂役で出演しています。
同じ月の10月22日には、2nd写真集『隣の席になりたい』を発売しました。
その後もオリジナルドラマ『にこたま』への出演が発表され、女優としての仕事が続いています。
2026年にはテレビ朝日系「あざとくて何が悪いの?」の「あざと連ドラ」に、およそ4年ぶりに出演しました。
同年5月には『VOCE』で日向坂46の金村美玖さんと初共演し、メイク企画に登場しています。
16thシングル『愛MUST BE』の活動をもって卒業へ
2026年9月15日、田村保乃さんは自身の公式ブログで櫻坂46からの卒業を発表しました。
ブログのタイトルは「お知らせです」でした。
その中で「16枚目シングルの活動をもちまして、櫻坂46を卒業します」と自らの言葉で伝えています。
16thシングル『愛MUST BE』は、2026年10月14日に発売予定です。
櫻坂46の公式サイトも同日に卒業を告知しましたが、具体的な卒業時期については「決まり次第」案内するとしています。
最終活動日や卒業セレモニーの有無、卒業後の活動については、現時点で発表されていません。
ブログでは、19歳でオーディションに合格し、20歳で欅坂46に配属されたことにも触れていました。
二期生の最年長として、そして改名後に表題曲センターを務めたメンバーとして、長くグループを支えてきた田村保乃さんの卒業です。
発表後のSNSには、寂しさとともに「幸せでした」という本人の言葉に安心したという声が数多く並びました。
田村保乃の年収は明かされていない
田村保乃さんの年収は公表されていません。
本人が金額を語ったことはなく、所属からの発表や信頼できる報道もないため、具体的な数字を挙げられる材料はありません。
ネット上には「数百万円」から「数千万円」まで幅のある推測が出回っていますが、いずれも根拠となる資料は示されていません。
その代わりに分かるのは、田村保乃さんがどれだけの仕事を積み重ねてきたかです。
グループとしてのシングル活動に加え、写真集は『一歩目』『隣の席になりたい』の2冊を発売しています。
2023年9月からは『VOCE』のレギュラーモデルを務めてきました。
ドラマ『Qrosの女 スクープという名の狂気』『にこたま』への出演もあり、女優としての仕事も続いています。
デビュー当初の状況は、今とはかなり違っていたようです。
田村保乃さんは過去にグループで出演したトーク番組で、「初めの方とか本当に苦しくて、おにぎり1つ買うのに本当に苦しかった」と明かしていました。
初めてのお給料は電車賃で消えてしまったとも話しています。
その頃はお母さんから電車賃を借りていたそうです。
番組の中では、当時より余裕が出てきたことや、借りていたお金を少しずつ返していることも語っていました。
ただし、これは数年前の番組での発言です。
センターを経験し、写真集を2冊出し、雑誌モデルとドラマの仕事も重ねた現在の状況と、そのまま結びつけられるものではありません。
卒業後の所属先や活動内容もまだ発表されていないため、収入についてはこれからも公表されない可能性が高そうです。
まとめ
田村保乃さんは、バレーボール推薦で保育士を目指せる大学に進学しましたが、大学名や在籍の結末は明かされていません。
出身高校も公表されておらず、大阪市立桜宮高等学校ではないかという説がファンの間で語られている状況です。
分かっているのは、6歳から大学まで14年間バレーボールを続け、高校時代は朝5時から夜10時までの生活を3年間送っていたことです。
1998年10月21日生まれで、2026年9月時点の年齢は27歳、身長は163cmです。
そして2026年9月15日、16thシングル『愛MUST BE』の活動をもって櫻坂46を卒業することが発表されました。
卒業の時期や卒業後の活動はまだ分かっていません。
『避雷針』を目の前で観て「誰かの気持ちに寄り添える人になりたい」と願った田村保乃さんが、次にどんな場所へ進むのか楽しみですね。
